数日、家族の見舞いもなく、このまま寝たきりにされてしまうと反抗して暴れたこともあって、薬剤も多種多様であったのだろう、この頃は(今思えば)非現実的な被害妄想感にさいなまれていた。
体調不良、苦痛の日々で、夜も何度も目が覚め、幻覚だったのか生死の境目を2回体験?した記憶がある。死後の夢を何度も見た。今も、死の瞬間の数秒前に脳は何を感じているのだろうとか、脳は生きようとどのくらい努力しているのだろうとか考える。
24時間、寝たきり、数本のチューブ注入の毎日だったが、それなりに落ち着いたということで、1ヶ月後ぐらいして?一般病棟に移ることとなった。
一般病棟に移ってからも、変わらず毎日が苦しくつらい日々だった。空調は悪く、ベッドはせまくマットも違和感があって、寝ていても楽に感じられる時間はなく、いつも疲れがひどく、息苦しかった。痰づまりでナースコールをしても吸引してくれる看護婦?見習い?は期待どおり来てくれることはまれで、技術もどちらかといえば未熟者が多かった。
食事は、いつごろだったかは思い出せないが、静脈注入と点滴から、鼻からチューブ(経鼻栄養法というらしい)に変わり、遺漏手術が決まったのが昨年の今頃だったと思う。
遺漏手術後、鼻からよりは格段に快適になった。それでも腹部の不快感は日常で、特にツインラインに変わる前の注入食は1食200mだったが、ムカつきがひどくて、3食完食?はほとんどできなかった。他の注入物は、医師からの指示の水分補給としてポカリスウェットだけで、体力が回復する兆しはなかった。
一時的には、痰座位ができて、看護婦にほめられたり、リハビリ療法士の首につかまって、車椅子に移ることができるようになったが、手足の力感覚は全く感じられなかった。
苦しさ紛れとしては、テレビ(BSは映らない)を観ることだけだった。
昨年の入院生活は、心身共に本当に苦痛の日々で、とにかく死ぬまでに「一度は自宅に帰りたい」ことだけを「夢」としていた。
来月、退院して1年を迎えることになる。呼吸と栄養補給は機械?・遺漏頼りで、排便も不自由ながら、入院生活を思えば、今のような日々を過ごせていることは「夢」にも思わなかった。
殺風景な病室には、戻りたくはないと願う。
ピカソの展覧会チラシの「ピエロ」、展覧会土産の「女の顔」、マリー・ローランサン美術館(蓼科湖畔)土産の「バラの女」(蓼科には以前勤めていた会社の保養地があった)、モネのポスター「日傘をさす女性」、上高地の風景画、他人が見ればたいしたことのないベランダ、インターネット、テレビ等...癒されながら、できるだけこのまま長く続けられたらと思う。




